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コテコテの横浜歩き(中華街・元町・山下公園)③

2008.04.29 Tue

満腹になりました。
もう少し、中華街を散歩します。




媽祖廟です。
正式には「横浜媽祖廟」と言うのだそうです。






媽祖の由来
”天上の聖母”は一般的に”媽祖”と呼ばれています。
 中国の歴史上、実際に存在した人であり、「林氏族譜」によれば、媽祖は宋の太祖の建隆元年(960年)3月23日に生まれ、一ヶ月たっても泣き声をあげないので、<林黙娘>と名づけられました。その家系は、唐代の<田九牧>(一族9人の地方長官)の6番目にあたる邵州刺史林蘊の7代目の子孫であって、福建における林氏の始祖である林禄公23代目の子孫に当たります。
 小さい時から才知に長け、10歳で朝晩欠かさず念仏を唱え始めました。
16歳の時、神からの教えと銅製の札を授かり(井戸をのぞいて神様から護符の書き方を授けられという記述もあり、諸説あるものと思われます。)、神通力を得、変化の術に通じるようになりました。札の力をもって邪を払い、悪をしりぞけ、災いを消し去り、人々の病を治し、世のために力を尽くしました。よく神通力を示し、むしろに乗って海を渡り、雲に乗って島を巡回するので、みんなから敬意をこめて<通玄の霊女>と呼ばれるようになりました。
 宋の太祖の雍煕4年(987年)9月9日、修行を終え、ある晴れた日に天にのぼった。28才の時のことです。亡くなってから、彼女が紅い衣装をつけ、海上を飛んで、難民を救助している姿が目撃されるようになりました。霊験あらたかに護国救民を行ってきたので、郷民は廟を建てて祀るようになった。その神通力が広まるに従って、歴代の皇帝がそれぞれ贈り名を贈るようになりました。宋の微宋は<順済婦人>、宋の光宋は<霊恵妃>、元の世祖は<天妃>、清の康煕は<天后>、また清の道光は<天上聖母>という名前を贈りました。
  媽祖は人間から神様となり、海の神様として祀られています。船主は船の中に神棚を設けて祀っていました。のちには海や航海の安全だけでなく、自然災害やコレラ等の疫病の発生や、盗賊戦争の不安にも、彼女を祈り、安寧を祈願するようになりました。
  媽祖の信仰は、華僑の出国にしたがって世界各地へ伝わりました。華僑のいる多くの地域には、媽祖廟が祀られています。一部の統計では、現在世界には媽祖廟は、26か国1500余か所の地区に及んでおり、媽祖さまを祀る人々は2億人といわれています。台湾だけでも媽祖廟は八百余か所、媽祖さまを祀る人々は千五百万人、日々参拝する人々が絶えることはありません。
 媽祖さまが万民に信仰されているのは、彼女が中華民族の優秀な伝統文化を継承し実現しているからであり、国際学術会から大変重視されるようになってきました。現在の研究内容は、もはや一般的な民間信仰の域を越え、経済、政治、文化、民族、宗教など広い領域に及んでおり、まさに<世界的な媽祖文化圏>を形成しつつあります。
(HPより抜粋)










「にゃお~!!!」



ネコじゃ、ないんですよね。。。
門の近くには








たくさんの牡丹の鉢植えがありました。
豪華です。
まさに中華です。
あの門をくぐると




そこはもう、元町です。
振り向けば




横浜中華街、にさようならです。

(あの~、いつまで続くの???)
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