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はじめての長崎[10] 平和公園

2008.08.17 Sun


この階段を登ると平和公園です。




「平和の泉」です。



のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとう油の浮いたまま飲みました
-あの日のある少女の手記から





平和記念像を目指します。
「平和の泉」から「平和記念像」の間には各国から贈られたモニュメントが多数立ち並びます。その一部をご紹介します。




「人生の喜び」
寄贈国 チェコスロバキア社会主義共和国(1980年)




「諸国民友好の像」
寄贈国 ドイツ民主共和国(1981年)




「平和」
寄贈国 ソヴィエト社会主義共和国連邦(1985年)




「乙女の像」
寄贈国 中華人民共和国(1985年)




「平和のマント」
ニュージーランド(2006年)




TE KOROWAI RANGIMARIE, THE CLOAK OF PEACE, IS A GIFT OF FRIENDSHIP TO THE PEOPLE OF NAGASAKI FROM THE PEOPLE AND GOVERNMENT OF AOTEAROA NEW ZEALAND, THE CITIES OF CHRISTCHURCH, WELLINGTON, AUCKLAND, NAPIER, WAITAKERE AND WHAKATANE.

THE CLOAK SYMBOLISES THE UNITY OF THOSE COMMITTED TO A PEACEFUL WORLD AND THE PROTECTION OF THOSE WITHIN ITS EMBRACE.

UNVEILED BY HON PHIL GOFF MINISTER FOR DISARMAMENT AND ARMS CONTROL 21 OCTOBER 2006

”クローク・オブ・ピース(平和のマント)”はニュージーランド政府、及びクライストチャーチ、ウェリントン、オークランド、ネイピア、ワイタケレ、ファカタネの6都市から長崎市に友好の証として寄贈された平和のモニュメントです。

”マント”は平和な世界に身をゆだねる人々の一体感と、それらを包み込み、守るものを象徴しています。

2006年10月21日
フィル・ゴフ軍縮・軍備管理大臣により除幕





冬を胸に 春は希望に満ちる




「長崎の鐘」

当時、被爆地には魚雷や戦車などを生産する多くの軍需工場があり、動員学徒、女性挺身隊と呼ばれた中学生や女学生をはじめ、多くの人々が働いていました。長崎の鐘は、33回忌にあたる1977年にここで亡くなった方々の冥福を祈るためにつくられたものです。
(長崎市役所HPより抜粋)





「平和記念像」

郷土出身の彫刻家・北村西望氏の作で、昭和30年(1955年)に完成。像の高さ約9.7m、重さ約30トンの青銅製で、「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれています。
(長崎市役所HPより抜粋)





平和祈念像作者の言葉

あの悪夢のような戦爭
身の毛もよだつ凄惨悲惨
肉親を人の子を 
かえり見るさえ堪えがたき眞情
誰か平和を祈らずにいられよう
茲に全世界平和運動の先駆として
この平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺餘
右手は原爆を示し左は平和を
顔は戦爭犠牲者の冥福を祈る 
是人種を超越した人間 
時に佛時に神
長崎始まって最大の英断と情熱
今や人類最高の希望の象徴
昭和三十年 春日 北村西望




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Theme:国内旅行記 | Genre:旅行 |
Category:JUL2008 長崎 | Comment(6) | Trackback(0) | top↑ |